橘寺は正式名称を仏頭山上宮皇院 橘寺(ぶっとうざんじょうぐうこういん たちばなでら)といい、 天台宗に属しているお寺です。 橘寺の創建年代は非常に古く、606年、聖徳太子が35歳のとき、自身の記した三経義疏(さんきょうぎしょ)のひとつである勝鬘経(しょうまんぎょう) をこの場所で唱えたところ、天から蓮の花が降り積もり、南の山には千の仏頭が現れ(仏頭山の名前の由来)、冠からは日月星の光(三光)がさしたといいます。 これを見て驚いた推古天皇(太子から見て叔母にあたる)の命を受けて、聖徳太子は この場所に寺院を建立し、橘樹寺と命名したのが始まりとされています。聖徳太子が誕生した572年以前には 父・用明天皇の離宮・橘宮がすでにこの場所にあったと考えられています。 橘寺はこの橘離宮を寺院へ改装したものと言えそうです。 名前の由来は日本書紀では垂仁天皇の勅命を受けた田道間守(たじまもり)が不老長寿の薬を求めて海を渡り、 現・中国からある種子を持ち帰ったもののそのときすでに垂仁天皇はこの世に無く、失望の後この地に種子を撒いたものが 橘(みかんの原種)だったため、そこから地名が橘となり、橘を取って橘の宮、そしてその後橘寺と命名されたようです。 かつて創建当時は聖徳太子の建立した七大寺のひとつとしてそれにふさわしい風格を伴っていて、 高さ38mの五重塔はじめ、66もの堂塔伽藍を持つ大寺院だったそうです。 しかし680年(天武天皇9年)4月には尼房から失火して10房を焼失し、また五重塔も平安時代後期 1148年(久安4年)5月15日の落雷で焼失、源平合戦のあった1185年には三重塔が再建されるも 室町時代の1506年(永正3年)には談山神社のある多武峰の僧兵や民衆による放火などがあり、 橘寺は当時の大寺院の面影を失ってしまいました。 その後ようやく江戸時代末期の1864年(元治1年)から1880年(明治13年)にかけて太子殿初め現存する建物が再建されています。 橘寺の入場料は350円、駐車場は最寄は橘寺駐車場で約40台とめられます。料金は参拝者は無料です。 また西門への入り口近くの県道沿いには堂の前駐車場もあり、こちらは有料で一日500円です。
橘寺は奈良県明日香村にあるお寺で、聖徳太子生誕の地としても知られています。
