勝持寺は大河ドラマの平清盛にも鳥羽院の北面の武士としても出てくる佐藤義清(佐藤兵衛義清)が1140年にこの寺において出家して西行と名前を改めて草庵をむすび、西行桜と言われている1本の桜を植えていたところから花の寺と言われるようになりました。もともとは、680年に天武天皇の勅願によって役行者が創建したと伝わっています。また791年には伝教大師(最澄)が桓武天皇の勅願によって、堂塔伽藍を再建し、勝持寺の本尊となっている薬師瑠璃光如来を刻んだと伝わっています。またその後の歴史では838年に仁明天皇の勅願によって、49の塔頭が建立されたそうですが、1467年〜1477年にかけての応仁の乱によって仁王門以外の全てのものが破壊されてしまったということです。そして現存している建物はそれ以後に再建されています。花の寺と言われるようになったのは、西行桜から始まって有名な花の名所となっていたためで、南北朝時代においても、足利尊氏とともに行動した鎌倉時代末期から室町時代にかけての守護大名であった佐々木道誉が、この場所で茶会を催すなどと言ったにぎわいを見せていたようです。この日は夕方から勝持寺にやってきました。京都は桜が満開でしたが、勝持寺では少しもう桜が散り始めていて、ちょっと遅かったかなという感じです。また夕方になると日が翳ってきてしまうので、撮影状況としてはあまり良くなかったですが、朝とかでしたら、もっと状況は変わってきたかもしれません。花の寺ということですが比較的こじんまりとして、とても静かなところという印象があります。また桜の時期の京都にあっても比較的静かで人の少ないところで、静かに桜の花を楽しむことが出来ると思います。境内に西行桜をはじめとして、約100本ぐらいの桜が植えてあります。ソメイヨシノが中心ですが、紅枝垂桜といった種類も植えられていて、ソメイヨシノの薄いピンクと紅桜の濃いピンクがコントラストを描いています。