勝持寺の境内には西行桜と言われているとても有名な桜があります。佐藤義清と言えば、平清盛とともに鳥羽上皇に使えていた北面の武士でしたが、いろいろと理由はあると思いますが、その募集消して西行法師として活動するようになります。その佐藤義清が、この場所で草庵を結んで出家をしたとされています。またここは謡曲西行桜の舞台ともされています。桜は毎年満開になりますが、春になると大勢の人がその桜を一目見ようとやってきます。西行法師は断ることも出来ずに人々を庭に招きいれますが、結局1人で桜をめでて楽しみたいと思っているのに、大勢の人でにぎやかになってしまうので、それを鬱陶しく思っていて、それを桜の咎として和歌に詠みましたが、その夜の夢の中で白髪の老人が登場して、桜には咎はないと言い残して消えていくという話です。確かに桜の美しさを独り占めしようと思っても難しいと言うことだろうと思います。その時に植えられている一株の桜を西行桜と呼んでいますが、もしもその当時の桜がそのまま残っているとすると、樹齢は900年近い非常に歴史のある桜と言うことになります。ただ実際のところ他の桜の古木と比べると数百年も年数の経っている桜には見えないのですが、実際には3代目となっているようです。鐘楼の隣に立っている桜が西行桜と言われている桜です。また西行法師と言えば、桜の名所の吉野山奥千本にある西行庵も有名です。こちらは奥千本の一番奥にある金峰神社のさらに奥にある草庵で、こちらは桜ではなく、紅葉の名所となっています。