このあたりは槍飛と名前がつけられている場所です。
高千穂峡の中でも最も幅が狭くなっているところです。
また五ヶ瀬川でも最も川幅の狭いところだそうです。
名前の由来は戦国時代の1591年に県の領主であった高橋氏に攻められて
高千穂の三田井城が陥落したために城を捨てて兵が逃げ出しましたが、
橋がかけられていないため、五ヶ瀬川の峡谷で足止めをくってしまい、
川幅の最も狭いこのあたりでついに槍をついて飛び越えるということを行ったものの、
手前の岩に槍の柄をついたものは飛び越えることができ、
向こう岸にやりを着いたものは川の中へと転落したという言い伝えから
槍飛橋の名前がつけられたのだそうです。