広島県の江戸時代の名庭園と言われているのがこの縮景園です。藩主浅野氏にちなんで浅野泉庭とも呼ばれています。縮景園の名前の由来は景色を縮めたという意味から来ているのだそうですが、元々は江戸時代に福島正則の改易を受けて入城した広島藩主・浅野長晟が1620年に家老であり茶人でもある上田宗箇に命じて、当時の中国西湖の風景を縮めて表現したものと言われているようです。その後1786年(天明6年)第7代当主浅野重晟が京都の庭師清水七朗右衛門に命じて大規模に作庭し直しています。庭園中央には濯纓池(たくえいち)と呼ばれる池を配した廻遊式庭園です。園内は約4万uの規模を持っています。1913年(大正2年)には一般開放もされています。その後浅野家から1940年(昭和15年)に広島県に寄付されていますが1945年(昭和20年)の太平洋戦争で多大な被害を受けて再修復され1951年(昭和26年)から縮景園と改名して再開園したのが現在の庭園です。大都市広島の市内にあって、ビル群に囲まれながらもここだけは静かな時が過ぎていっているのが印象的です。
縮景園 桜
桜の咲いている時期の縮景園庭園です。