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「写真」は真を写す?

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「写真」は真を写すと書きますが、私は間違いだと思います。

実際のところ人間の見た目と同じように再現することはまず不可能です。

そういう意味ではむしろビデオの方がより真を写す「写真」にまだ近いと言えるかと思います。

また実際に見ているものに対してカメラの性能の限界もあります。
ダイナミックレンジしかり、色の再現性しかり。それを後から補ってやる必要があると思うのです。

それにそもそも構図を決めること自体が自然の中の一部分を切り取ろうとする撮影者の意図が介在しているわけです。
それにレンズをどれにするか、絞りをどうするかで同じものを撮っても表現も変わりますし、
レンズ選択一つとっても自然の見たままありのままではなくしてすでに人工的な撮影者の意図が入ります。

またバルブ撮影などで滝や川を水墨画のように流してみたり、夜景でバルブによって歩行者を消したりすることは
わざわざ真を写すこととはかけ離れた目的でカメラを使っていることになります。
自動車レースなどの流し撮りは真逆の好例で、写真で見ると車は止まって見え、観客や風景は猛スピードで流れている
ように見えますが猛スピードで走っているのは観客や風景ではなく車であり実際は逆ですね。
フィルムカメラでの多重露光などもあり得ない風景でこの部類です。
そこには撮影者の、この風景をこうやって表現してやろうという意図が介在します。

あり得ないものを写真表現としてカメラで撮影しているわけですから、真を写すとは程遠いですね。

またノーレタッチ・ノートリミングこそが本当の風景写真だというのも上記の理由で間違っていると思います。
ノーレタッチやノートリミングということと実際の風景には何ら関連はありません。

ノーレタッチといってもカメラCCDからの信号と画像処理エンジンの作った色合いをただ単にそのまま撮ってだしというだけですし、
これはカメラメーカーの技術者が設定した色合いであって自然の色合いとは何ら関係ないですし異なっていて当然です。
ノーレタッチであろうがレタッチしようが、自然の色合いを完璧に再現することなど人間にはできません。
あくまで近づけるということは出来ても、完璧に再現することは到底不可能です。

ノーレタッチであれば、このカメラでこういう条件においてこう撮影したらこうなりますという、
そのカメラの特徴を記すサンプル画像としては価値があると言えるかもしれませんが、
それ以上でもそれ以下でもないです。

また近い色合いということでレタッチをやったところで、葉っぱ一枚の色を合わせても他が狂って来たりしますし、
写真に撮った瞬間の色合いはどうだったかということなど撮った本人の記憶というあいまいなものでしかないですし、
それらしき色、見てきたような色、その感覚は感動したかしなかったか、その時の心理状態はどうだったのか、
人によって状況によって変わってくる以上、何が正しいか正しくないかということ自体ナンセンスです。

レタッチは邪道か邪道でないか、トリミングはしてもいいのかしない方がいいのか、
その範囲はどこまでが許されるのか、人それぞれ感覚が違う以上そういった議論自体無意味ですし、
単に写真を使う目的、あるいは何を表現したいのか、または好きか嫌いかの好みの問題となってきますので、
そんなもの自分の表現したいように好きにやればいいということになります。

このように同じものを再現しようと思っても時と共に流れてその姿色合いを刻々と変化させる自然に対しては無理ですし、
所詮カメラごときの道具によって自然の姿のありのままを捉えようとする傲慢な人間に対して、
自然はそんなことはさせてくれません。それだけ自然はすごいということですしカメラという道具の限界です。
それを分かった上で改めて言えば写真は好きなものを好きなように撮ればいいとしか言いようがないです。

写真とはそういうものだと思います。まただから面白いんだと思います。

自然は、風景は、あなたが今自分の目で見ているもののみが本当です。
止まることなく滝や川は常に流れ、歩行者は常に歩いているのですから。

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