村上家住宅の近くにある流刑小屋です。昭和40年10月1日に富山県文化財に指定されています。江戸時代加賀藩では流刑地としてここ五箇山を能登半島とともに選定し、政治犯などを送り込んでいたとされています。1667年に五箇山に最初の罪人が送り込まれたとされているようです。それ以後明治維新までの約200年間に約150人の罪人が送られてきたとされています。流刑地に指定された庄川右岸の7つの集落が選ばれ、罪人の逃亡を防ぐために庄川には橋をかけさせず、篭を使った渡しだけが許可されていたそうです。また庄川右岸は切り立った断崖絶壁が続いていたため逃亡をさせないためには格好の土地だったそうです。流刑小屋にも3種類ほどあったようですが、村落内であれば自由に出入りできる平小屋、一歩も外へは出られないようになっているお縮小屋、小屋の中にさらに狭い檻を作って監禁した禁錮の種類があったそうです。写真に撮っているのはこのうちのお縮小屋に当たる建物で、小さな狭い空間に開窓がひとつあるだけの構造で、食事の際には牢番が小さい窓から食事を差し入れするだけだったそうです。しかしこの寒い雪の中狭い空間に閉じ込められるとさぞかし辛かっただろうと思います。田向集落のこのお縮小屋は昭和38年に豪雪で倒壊し、昭和40年5月に復元され建てなおされたものだそうです。ちなみに間口は2.77m、奥行きは3.63mしかありません。