彼岸花はもともと中国原産の花で、日本に稲作とともに伝来したとされています。
また彼岸花が田んぼの畦に多い理由は彼岸花の持つ毒素「リコリン」が
田畑の畦に穴を開ける穴掘り動物に効くからだそうです。彼岸花は畦の崩壊を防ぐ役割もあるのでしょう。
それゆえ中国からの稲作の伝来とともに付随して彼岸花も伝来してきたのでしょう。
ここ明日香村の彼岸花は古来この明日香の地にて
時代の移り変わりを見てきた歴史の生き証人として今も咲き続けています。明日香村は奈良県高市郡にある村ですが、彼岸花にかけてはこの村を越える有名な村は
おそらく日本全国探してもないと思います。
また明日香村にはこの村だけの法律まであります。
明日香法といわれる法律ですが、要するに明日香村では景観保全のために
建築物に対して厳しい制限がなされているということです。
明日香村の彼岸花が有名な理由はただ単に彼岸花がいっぱい咲いているところというだけではなく、
景観保存に村を上げて取り組んでいる、そしていつまでも村内には昔の面影が残る、
その歴史と文化の重み、そのことがこの村をより有名にしているのだろうと思います。
また明日香村は歴史と遺跡の村でもあります。
稲渕地区の彼岸花を見るときに通る石舞台古墳(蘇我馬子の墓といわれる)をはじめ、
最近壁画で有名になったキトラ古墳、特別史跡の高松古墳、天武天皇・持統天皇稜や文武天皇陵、
藤原鎌足の墓や、聖徳太子生誕の地といわれる橘寺などなど、歴史上の重要人物がいっぱい出てきます。