吉野の桜の見頃は4月上旬頃〜下旬頃までです。
下千本で満開を迎えるのが4月初旬から上旬、その後中千本、上千本、奥千本と次第に
吉野山を桜前線が駆け上がり、4月下旬頃に見頃を終えます。
吉野の桜の総本数は約3万本とも言われており、中心となるのはシロヤマザクラといわれるヤマザクラです。
古来平安時代の昔から和歌に詠まれるなど吉野山は桜の名所としての地位をゆるぎないものにしています。
吉野山と桜の歴史は今から1300年以上も前の飛鳥時代・山岳信仰の初期に遡ります。
修験道の開祖とされている役行者が厳しい修業の後に蔵王権現を感得し、
この蔵王権現を桜の木を使って刻み、金峯山寺の本堂として
661年〜683年頃に蔵王堂を建立して本尊としたことから、桜が御神木として扱われるようになります。
役行者によって広められた修験道が盛んになるにつれ、ここ吉野山に修行に訪れる際に
御神木である桜の木を吉野の山々に植栽し続けてきたことが、現在これほどまでに
吉野山に桜の木が多く植えられているということにつながっているそうです。
また吉野山には歴史上の人物も度々登場していて、
有名な西行法師が吉野山に滞在して庵を作ったものが西行庵として奥千本に残されています。
また有名な俳人である松尾芭蕉も西行法師ゆかりのこの地にある西行庵を訪れているようです。
源平時代には源頼朝と対立した義経と静御前が九州へ逃れる途中、遭難した上に
ようやくたどり着いたここ吉野山にある吉水神社で義経と泣く泣く離れ離れになったところでもあり、
南北朝時代には京都の足利尊氏に対峙して後醍醐天皇が吉野の地に都を開いたことが後に南北朝の名前の由来になったとか、
後醍醐天皇が当時南朝の住まいとしていた場所に現在では南朝妙法殿が建っています。
中千本にある如意輪寺では南朝方の楠木正行が四条畷の戦(1347年)で
北朝方の高師直との決戦を前に辞世の句を読んだ場所でもあります。
またお花見好きで宴会好きでも知られる豊臣秀吉もこの吉野山の観桜に1594年に訪れており、
このとき本陣を敷いたのも中千本にある吉水神社で、ここでは当時の豊臣秀吉の観桜の様子を感じることも出来ます。
またこの吉水神社には義経や弁慶、後醍醐天皇にちなんで命名された部屋が現在でも残されています。
吉野で見る桜はこれらの歴史とともにその時を刻み続け、その様子を見続けてきたといえるでしょう。
この修験道から始まる桜の歴史の重みをして吉野山は関西いや全国屈指の桜の名所といわれ、
後に2004年7月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」として
高野山や熊野古道などとともに世界遺産へと登録されることになったのでしょう。
なお、桜の時期の吉野山へは平日は下千本駐車場(駐車料金無料)まで車で上がれますが、そこからは徒歩となります。
徒歩での所要時間は下千本駐車場から下千本七曲り付近まで約5分、
中千本まで30分〜40分、上千本1時間以上、奥千本2時間以上かかります。
また土日の混雑する時期には交通規制が行われ、
吉野山手前の臨時駐車場よりシャトルバスによる往復となります(料金1500円)。
関西屈指の桜の名所として有名な吉野の桜の壁紙写真
山桜を中心に関西屈指のお花見スポットとして有名な吉野の桜です。