あじさいの名所として知られる矢田寺は、
奈良県大和郡山市の矢田丘陵の中心となる矢田山の中腹にある真言宗のお寺です。
正式名称を矢田山 金剛山寺といいます。
矢田寺の名称は、万葉の昔から現在の土地が矢田の里と呼ばれていることに由来します。
その歴史は非常に古く、創建は飛鳥時代にさかのぼります。
679年に天武天皇の勅願を受けた智通僧上によって堂塔伽藍が建立され、当時本尊には
十一面観音菩薩像と吉祥天をお祀りしていたのだそうですが、後に平安時代初期の弘仁年間(810年〜824年)に
矢田寺の中興開山と呼ばれる満米上人(まんまいしょうにん)によって現在の本尊である木造地蔵菩薩立像が造られたのだそうです。
満米上人には不思議な仏教説話もあって、もともと上人が地蔵菩薩を彫るきっかけになったのが、
小野篁(おののたかむら)に連れられて地獄の閻魔大王に会いに行き、そこで閻魔大王に菩薩戒の説法を説いた縁で
地獄を案内してもらい、そこで苦しむ人々の
身代わりとなって責めを受けている地蔵菩薩をみて痛く感動し、現世に戻ってから仏師に依頼して
地蔵菩薩像を彫ったというもの。ただそのときいくらやってもうまく彫れず困っていたところへ、
春日4社の神が翁の姿で現れて代わりに地蔵菩薩を彫り上げ、それを安置したのが現在の本尊だそうです。
矢田の地蔵さんで親しまれている矢田寺の地蔵菩薩はこのような逸話を持っています。
またそれが故か、矢田寺の境内には春日神社本殿(春日大社とは無関係)もあるというわけですね。
小野篁が宮廷に仕えながら魂は閻魔庁にあり、夜は閻魔庁で大王を補佐する仕事をしていたというのも
作り話と言ってしまえばそれまでですが、
怪しいイメージや逸話の絶えない小野篁を持ってくるあたり、さすがという感じです。
確かに小野篁の生きていた年代(802年〜853年)とも矛盾はないですし、良くできた逸話だと思います。
ただ小野篁の年齢が若いと言えば若い(弘仁年間だと8歳〜22歳)ですが。
ちなみに満米上人はもともと満慶上人と呼ばれていましたが、閻魔大王にお礼にもらった手箱から、毎日食べても食べても
白米が出てきたことから、その名前がついたそうです。
さて、そんな逸話のある矢田寺ですが、なんといっても圧巻はあじさいの咲くころ。
駐車場に車を止めてからしばらく石段を上がってゆき、本堂前の石段あたりからあじさいが満開に咲いているのを
見ることができます。本堂前向かって左手にあるあじさい園では
約60種類8000本とも言われるあじさいの大庭園となっています。
また、本堂向かって右手のあじさい見本園では、珍しい種類のあじさいを見ることができます。
さらに本堂奥にある御影堂周辺の広場にもあじさいが植えられていて、
まさに境内一円あじさいに覆われているといっても過言ではない感じです。
あじさい自体は奈良時代からすでにあったそうなのですが、ここのあじさいは昭和40年頃から植え始められたものなのだそうです。
矢田寺あじさい園の見頃時期は6月中旬〜末頃ごろ、見た感じでは見頃ピークは6月下旬かなという感じでした。
矢田寺の入場料は400円、駐車場はいくつかある民間駐車場では相場は1回500円です。
ただし全部合わせても比較的すぐに満車となりますので余裕を持ってお出かけください。
アクセスは第二阪奈道路中町ランプを下りて富雄川に沿って南下します。
矢田寺 あじさいの壁紙写真
関西最大級のあじさいの名所、矢田寺のあじさいの壁紙写真です。