知恩院は専修念仏を唱え、現在では全国に7000余の寺院、600万余の檀家を擁する浄土宗の総本山ですが、
その歴史は鎌倉時代の1175年に浄土宗の開祖である法然上人が
現在の地に草庵を結んだのが始まりとされています。
南禅寺三門と共に京都三大門のひとつ、知恩院三門にある華頂山の扁額は山号を表しています。
正式名称を華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)と称します。
法然上人没後も浄土宗の中心地として栄えていますが、1227年に宗教対立していた延暦寺から攻められて破壊され、
1234年に法然上人の弟子の勢観坊源智が再興、このとき四条天皇から華頂山知恩教院大谷寺の寺号を賜っています。
1431年の火災や1467年〜1477年の応仁の乱でも焼失していますが、再建されています。
ただ、当時はまだ現在のような大伽藍を持つ寺院としては存在しておらず、現在のような姿になるのは
徳川家康が天下統一を果たして江戸幕府を開いた江戸時代に入ってからのことです。
もともと徳川家自身が浄土宗の熱心な信徒であったことと、京都の朝廷に幕府の威信を示す狙いもあったようで、
知恩院の寺域拡大と、三門はじめ、1639年再建の国宝に指定されている本堂(御影堂)、明治時代再建の阿弥陀堂、1621年建立の経蔵、1641年建立の大方丈・小方丈などの大規模な伽藍建築がこの当時に行われました。
1633年の火災で三門、経蔵、勢至堂以外全焼するも、徳川3代将軍家光の手で1641年ごろまでに再建されています。
また本堂から大方丈・小方丈へと向かう約550mの廊下には非公開ながら
二条城同様の鴬張りの廊下となっており、
徳川幕府の手による江戸時代の建築物であることを示しています。
知恩院の特徴はまずその巨大な三門で、1621年に造られ、高さ24m、幅50mもあり木造の門としては日本の寺院はもとより、世界的に見ても最大級を誇っています。
三門から急な石段を上がると御影堂、阿弥陀堂、経蔵がある本堂前の広場に出ます。
今回はここからさらに奥にある拝観料400円で有料公開されている方丈庭園へと向かいます。
知恩院の方丈庭園は背後の東山を築山に見立てた築山林泉庭と呼ばれる庭で、大方丈・小方丈に面して続いています。
1641年の方丈再建の際に小堀遠州の影響を受けた妙蓮寺の僧・玉淵坊によって作庭されたといわれています。
また小方丈前の庭は二十五菩薩の庭と命名されており、知恩院所有の国宝「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」を元に
臨終の際に念仏を唱えれば、阿弥陀如来と二十五菩薩が浄土へ導いてくださるという様子を作庭したものとされています。
また方丈庭園の奥には権現堂があり、知恩院再興に功績のあった徳川家康・秀忠・家光の御廟をお祀りしてあります。
方丈庭園を見下ろす知恩院で最も標高の高いところにある山亭庭園では、紅葉越しに京都の街並みを見下ろすことが出来ます。
知恩院境内の拝観料は無料ですが、方丈庭園は400円かかります。また方丈庭園と友禅庵の共通拝観券もあり、こちらは500円です。
駐車場は収容台数30台、知恩院三門前にあり、最初の1時間500円、以後30分ごと200円かかります。
なお、方丈庭園の紅葉の見頃時期はやや遅く、11月末頃に見頃ピークを迎えている感じです。
また、方丈庭園内は三脚の使用は禁止されています。夜間ライトアップ時も同様です。
知恩院 紅葉の壁紙写真
京都市東山区にある知恩院と方丈庭園の紅葉の壁紙写真です。