當麻寺(当麻寺)
當麻寺(たいまでら)のぼたんの花と新緑の壁紙写真です。
當麻寺の歴史は非常に古く、その創建は612年聖徳太子いた飛鳥時代に遡ります。
もともとは当時この地の豪族であった当麻氏の氏寺として創建されたものだそうです。
開基は聖徳太子の異母弟に当たる麻呂子親王(聖徳太子の父である用明天皇の第3皇子)とされていますが、麻呂古親王が建立したのは万法蔵院で、もともとは河内にありました。
その後この万法蔵院を役行者が開いたとされる現在の地へ681年に移動したのが麻呂子親王の孫にあたる當麻真人国見という人で、
當麻氏と當麻寺の歴史がここから始まります。
その後824年にこの地を訪れた弘法大師の影響を受けて、弥勒菩薩坐像を本尊として三論宗だったものを真言宗に鞍替えして当麻曼荼羅が本尊となります。
また當麻寺には当麻曼荼羅と呼ばれる、西方極楽浄土を描いた曼荼羅が本尊としてあることでも知られていますが
この曼荼羅があることで藤原氏のいた平安時代に入って、末法思想が広がるにつれ、
當麻寺が非常に注目され、また信仰を集めるようになってきます。
この当麻曼荼羅は、中将姫という藤原豊成の娘が極楽浄土の風景を一夜にして織り込んだものという伝説も残されているようです。
また當麻寺がある二上山麓は、大和の西にあたり、時期によっては太陽がふたつの山の間に沈んでいくことから、
末法思想にいう西方極楽浄土への入り口としての神聖な山ということで信仰を集めていたようで、
このこともまた當麻寺の名声を高めることになっていったのでしょう。
また、日本で唯一、奈良時代後期の創建当時のままの東塔と西塔両方が残されていることでも非常に価値があり、
本堂や曼荼羅、粘土で出来たとされる創建当時の金堂の本尊である塑像弥勒仏坐像とともに東塔・西塔も国宝に指定されています。
當麻寺はまた、ぼたんの咲く寺としても非常に有名です。
ぼたんの花が主に見られるのは當麻寺奥院の庭園や當麻寺中之坊庭園の中にあるぼたん園で、
その他の塔頭でも見ることが出来ますが、見頃は4月下旬から5月初旬頃となります。
今回はそのうち奥院のぼたん園、浄土庭園を紹介しています。
この奥院は當麻寺塔頭のひとつであるものの、弘法大師の影響を受けて真言宗であった當麻寺の塔頭に、
浄土宗の総本山である知恩院(京都)の奥之院として本堂(御影堂)に本尊法然上人像を安置し、1370年に創建されたという非常にややこしい歴史を持っています。
なぜこんなことになったかというと極楽浄土を現したという当麻曼荼羅が一役買っており、曼荼羅信仰に乗じた浄土宗の知恩院が
それに目をつけて浄土宗を広めるために利用したという歴史なのだそうです。
浄土信仰を表した曼荼羅が浄土宗にとっては宗派拡大と布教活動にもってこいだったのでしょうね。
ややこしいので少し整理しておくと、當麻寺は真言宗、當麻寺奥院は知恩院の奥の院で浄土宗、
実質的には2つの違うお寺があると考えたほうが分かりやすいです。
當麻寺の中で古くから金堂は塑像弥勒仏坐像を本尊として三論宗→真言宗へ、奥院の御影堂(本堂)は法然上人像を本尊として浄土宗、
當麻寺敷地内の曼荼羅堂だけは浄土宗と真言宗の両派共有で当麻曼荼羅を當麻寺の両派の本尊としているわけです。
また當麻寺の塔頭はそれぞれ宗派ごとに真言宗の塔頭(中之坊・西南院・不動院・松室院・竹之坊)と
浄土宗の塔頭(奥院・護念院・千佛院・宗胤院・念仏院・来迎院・紫雲院・極楽院)があります。
というわけで現在まで、當麻寺は浄土宗と真言宗の二つの宗派が共存しているという珍しいお寺となっています。
またぼたんの花は仏様へのお供えの花という意味で数多く植えられるようになったのだそうです。
奥院二河白道庭園と大方丈 |
新緑の東塔 |
奥院のぼたん園 |
當麻寺とぼたんの歴史 |
ぼたん越しに見る楼門 |
奥院庭園と阿弥陀堂 |
奥院・浄土庭園 |
奥院・浄土庭園 |
浄土庭園と極楽池 |
十三重の塔 |
逆光に透ける唐笠とぼたんの花 |
奥院阿弥陀堂 |
當麻寺(奈良県葛城市當麻・旧北葛城郡當麻町)撮影日2004年4月21日
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