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諏訪湖八重垣姫の像と大きな燈籠

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諏訪湖の石彫公園では
本朝二十四孝狐火の段の伝説が書かれた石碑と
そこに登場する八重垣姫の像が湖の初島手前にあります。
上杉家が武田家の家宝であった諏訪法性の兜を借りたまま返さないことから
両家が不仲となって、その調停のために
八重垣姫は上杉謙信の娘として政略婚相手の武田勝頼の妻となる
予定でしたが、足利将軍暗殺の嫌疑を掛けられた上杉家と武田家は
犯人を差し出さないと嫡子の首を差し出さないといけなくなった。

風の便りに勝頼が死んだと知らされる八重垣姫でしたが、
菊造りに扮して上杉家に侵入した蓑作が勝頼に似ていることを見破った
八重垣姫が、勝頼が生きていたことを知り、同時に
武田信玄のトレードマークでもあった諏訪大明神から授かったとされる
諏訪法性の兜を取り返そうとしていることを知る。
その様子をうかがっていた謙信が
勝頼を使いにやらせて討伐しようとした。

八重垣姫は謙信に懇願して助命を頼んだがかなわず、
勝頼にそのことを伝えたくて追いかけようにも
女の足では陸路も追いつかない。氷の張った湖は船も使えない。

困り果てた八重垣姫は諏訪湖のほとりにて
ひそかに持ち出していた諏訪法性の兜に祈りをささげ、
勝頼の無事を諏訪大明神に願った。
不思議なことに湖面に姫自身の姿が狐に映り、
神使の狐に先導されて、勝頼を思う念力と神の守護する
諏訪法性の兜と、狐火に守られて諏訪湖の上を勝頼求めて渡ってゆく
という伝説です。

八重垣姫は人形浄瑠璃や歌舞伎の題材として登場するだけの
架空の人物であり、実際に勝頼の正室には織田信長の養女が入っており、
史実とは異なるようです。
しかしこのような話が持ち上がる背景には、
武田勝頼の母方が諏訪氏の出であり、その息子の勝頼は
本来であれば武田氏ではなく諏訪大社の神職でもある
諏訪氏の跡取りだったはず(信玄の嫡男は謀反により幽閉)
ということから来ているように思えます。

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