沖縄の中城城(なかぐすくじょう)は連郭式と呼ばれる、城内にいくつもの区画が見られる形の城で、
14世紀後半以降に先中城按司(さちなかぐずくあじ)と呼ばれている
護佐丸以前の王族か地方豪族の首長が琉球石灰岩の断崖を巧みに利用しながら石灰岩を使って
南の郭、西の郭、一の郭、二の郭等の城の主要な部分を造り、その後を受け継ぐ形で1440年に第一尚氏王統第2代目国王の尚巴志の家臣で
琉球随一の名築城家といわれる中城按司・護佐丸盛春(ごさまるせいしゅん)が王府の命を受けて勝連城主・阿麻和利(あまわり)を見張る目的で
座喜味城から中城城へ移転して後、三の郭、北の郭を作り上げたのが現在残されている6つの郭だといわれています。
もともと中城城には天守閣などはなく、また沖縄戦の直接の被害もほとんど受けておらず、
現在は城壁を残すのみとなっていますが、沖縄にある城の中では最も当時の面影を残しているそうです。
この6つの郭の石垣には特徴的な積み方があり、最初に作られたと思われる南の郭は野面積みと呼ばれる
自然の石をそのまま積み上げた形の石垣を持ち、その後の一の郭、二の郭は布積みと呼ばれる四角い形の石を積んだ石垣へと
少し進化し、護佐丸が作り上げたとされる三の郭、北の郭に至っては亀甲積(相方積み)と呼ばれる六角形に加工した石材を
使って城郭を作るというように、時代とともに少しずつ進化していく様子も見ることが出来ます。
中城城の歴史はその後、1458年8月15日に勝連城主按司・阿麻和利との間に起きた
護佐丸・阿麻和利の乱(阿麻和利の謀略とも首里王府の謀略とも、また中城湾と大和商人をめぐる両者の覇権争いという説もある)で護佐丸が敗れたため、
主を失いますが、
1501年に建てられた玉陵の石碑に中城の按司、真仁堯樽(後の第二尚氏第4代国王・尚清王)と刻まれていることから、
その後第二尚氏王統時代には少なくとも中城城には王家親族が入っていたことをうかがわせます。
戦前は中城町役場としても使われていたそうですが、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄のアメリカから本土復帰と同時に国の史跡に指定されています。
それだけこの城の城郭や石垣の見事さやそれにまつわる歴史が高く評価されていたということでしょう。
2000年12月2日にユネスコの世界遺産に登録され、現在は中城城公園として公開されています。
拝観順路は駐車場に車を止めて坂を上がり、中城城址公園の広場に出ます。
まず三の郭を見ながら美しいアーチの裏門から入ると向かって右手に北の郭が、
左手に三の郭へ登る急な石段が見えます。
奥へ進んで二の郭を通り、標高167mで最も高く、正殿跡などの残る一の郭、久高遥拝所などのある南の郭を通って
出口の正門へと出てきます。入場料は300円掛かります。