松代城(海津城) 桜

松代城はもともとは戦国時代に 川中島の合戦に際して北信濃を守る拠点として武田方が築いた平城・海津城がその前身です。 四方八方を千曲川の水を引き込んだ堀で取り囲み、天然の要害として強固な守りを誇っています。 武田信玄から築城の命を受けた山本勘助が1588年から取り掛かって1560年に完成させたものです。 戦国時代に北信濃をめぐって争った上杉謙信との戦に備えて千曲川沿いに築城したもので、 初代城主には高坂弾正、築城当時は本丸と二の丸は土塁で囲まれていたと想定されています。 1561年9月10日早朝の霧の中でに第4次川中島合戦が大激戦となって行われましたが、 ときの山本勘助はこの松代城内でキツツキの戦法を武田信玄に進言したとされています。 松代城の前身の海津城は関ヶ原合戦の1600年には森忠正が城主として入り、 二の丸三の丸の土塁を石垣に修理したものとされています。その後1622年には 真田信之が上田城より移封されて入城し、1711年に海津城から現在の松代城に 名前が変えられたようです。1872年(明治5年)の廃城までの約250年間松代藩真田氏の居城として 存在していましたが、廃城によって建物は取り壊されたものの、1981年(昭和56年)に 城閣などの一部が国史跡に指定されています。松代城の復元工事は1995年(平成7年)から 行われており、本丸や二の丸など主要な建物から順次復元されています。 建物が比較的新しいのはそのためです。 松代城の桜の見頃時期は4月中旬ごろです。入場料は無料、駐車場も無料です。
松代城本丸太鼓門と桜
松代城本丸太鼓門と桜
松代城本丸境内に咲く桜と太鼓門
松代城本丸境内に咲く桜と太鼓門
太鼓門と本丸の桜
太鼓門と本丸の桜
松代城 戌亥隅櫓台と桜
松代城 戌亥隅櫓台と桜
松代城境内本丸の桜
松代城境内本丸の桜
戌亥隅櫓台へ上がる石段の途中から
戌亥隅櫓台へ上がる石段の途中から
戌亥隅櫓台下の桜
戌亥隅櫓台下の桜
北不明門と石碑と桜
北不明門と石碑と桜
戌亥隅櫓台上に咲く桜
戌亥隅櫓台上に咲く桜
戌亥隅櫓台の石垣と本丸の桜
戌亥隅櫓台の石垣と本丸の桜
松代城本丸跡の満開桜
松代城本丸跡の満開桜
北不明門沿いの壁と石垣と桜
北不明門沿いの壁と石垣と桜
東不明門橋と東不明門跡
東不明門橋と東不明門跡
東不明門橋と本丸の桜
東不明門橋と本丸の桜
松代城内堀と太鼓門前橋と太鼓門
松代城内堀と太鼓門前橋と太鼓門
松代城石垣の桜
松代城石垣の桜
太鼓門前橋と太鼓門
太鼓門前橋と太鼓門
太鼓門前橋と太鼓門と満開桜
太鼓門前橋と太鼓門と満開桜
北不明門の表門と櫓門
北不明門の表門と櫓門
戌亥隅櫓台の桜
戌亥隅櫓台の桜
北不明門と井戸
北不明門と井戸
石垣の上の桜と石碑
石垣の上の桜と石碑
松代城外堀に映る桜
松代城外堀に映る桜
満開の菜の花と桜
満開の菜の花と桜
二の丸付近の桜
二の丸付近の桜
整然と並ぶ桜の木々
整然と並ぶ桜の木々
北不明門の屋根と桜
北不明門の屋根と桜
松代城の井戸と戌亥隅櫓台の桜
松代城の井戸と戌亥隅櫓台の桜
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撮影地 松代城(長野県長野市松代町松代殿町) 撮影日2008年6月23日
撮影カメラ EOS 5D レンズ EF 70-200mm F2.8 L IS USM EF 28-300mm F3.5-5.6 L IS USM
参考GPS測位標高データ 松代城駐車場 標高358m


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