ただ又兵衛桜にまつわる話となると、
後藤又兵衛は豊臣方が敗れた大阪夏の陣の後、この地に落ち延びて
ここに居を構え、僧侶のふりをして余生を送り、
この桜を見ながら再起を図っていたということになっています。
どちらが本当かは分かりませんが、おそらく惜しまれて亡くなった又兵衛が、
伝説としてここ又兵衛桜の麓に生きていたということにしたかったのかも知れません。
ちょうど奥州平泉で亡くなった源義経が生きてモンゴルに渡り、
チンギス・ハーンに生まれ変わったという伝説のように。
豊臣方として活躍した又兵衛にふさわしい桜としてこの又兵衛桜が選ばれ、
お花見と紅葉見物を広めたのは豊臣秀吉だったということもあり、
そういったことも影響しているのかも知れません。