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出水神社鳥居と本殿

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出水神社は西郷隆盛らの士族の反乱で起こった西南戦争(西南の役)で
水前寺成趣園はじめ熊本市内も焼け野原となったため、
その復興を願って細川家代々の先祖供養を兼ねて、旧肥後熊本藩有志が
西南の役の翌年の1878年(明治11年)10月7日に、水前寺成趣園の中に
細川家初代幽齋、二代忠興、三代忠利、八代重賢を主祭神として
、それ以外の歴代藩主と忠興夫人の細川ガラシャをお祀りしてあります。
出水神社の名前の由来は、阿蘇の伏流水が湧き出す成趣園の池にちなんだもので、
公園内南東側にある能楽殿舞台もこの時に同時に建立され、
春と秋の薪能の際には、熊本伝統の大夫友枝家を中心とする本座・大夫桜間家を中心とする新座の
舞が現在でも継承・披露されています。
ただ1965年(昭和40年)に当時の能楽殿は焼失し、現在ある能楽殿の建物は、
昭和天皇在位60年を記念して、細川家にゆかりのある旧八代熊本城主の松井家から
1966年(昭和41年)1月12日に竣工し移築奉納されたものです。

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