熊本市にある水前寺公園(水前寺成趣園・すいぜんじじょうじゅえん)の歴史は、江戸時代初期の1632年12月9日に、
肥後国熊本藩細川家初代藩主で細川忠興の三男の忠利が以前の藩主であった加藤忠広(加藤清正の次男)が改易されたのにともない、
肥後54万石の大名として豊前小倉藩よりこの場所に移封され、国府の御茶屋・茶室酔月亭(現存する古今伝授の間の場所にあったとされる)を築き、
以前赴任していた豊前小倉藩より連れて来た豊前羅漢寺の僧・玄宅のために寺を建立し、寺は水前寺と命名され、水前寺御茶屋と呼ばれるようになります。
これが現在ある水前寺公園の基礎となります。その後、細川家第3代藩主の細川綱利の代になって水前寺は玄宅寺として北隣に移築されますが、残された水前寺御茶屋は
肥後熊本藩の管理下に置かれ、1670年から2年がかりで大規模な作庭が行われます。
現存する水前寺公園の原型がこのときにほぼ完成を見ると共に、
水前寺公園の正式名称となっている水前寺成趣園の名称もこのときに付けられたものだそうです。
ただ西郷隆盛が1877年(明治10年)に起こした西南戦争(西南の役)の動乱で茶室酔月亭は焼失し、庭園も荒廃してしまいますが、
翌年1878年(明治11年)には細川家先祖代々をお祀りするために細川家有志によって出水神社が水前寺成趣園内に建立され、
成趣園自体も出水神社の境内として復興してゆくこととなります。1912年(大正元年)には、かつて酔月亭のあった場所に、
細川家初代・幽斎が古今和歌集の奥儀を八条宮(桂宮)智仁親王に伝授したとされる「古今伝授の間」が京都御苑の八条宮(桂宮)邸内より移築され、
1914年(大正3年)には水前寺公園として一般公開されています。また1929年には国の名勝史跡に指定されています。
公園全体の面積は約7万3千平方メートルの規模を誇っています。また水前寺成趣園は東海道五十三次を模した設計がなされているといわれており、
一番目に付いて分かりやすいのは富士山を模った築山だろうと思います。
庭園自体は中央にある阿蘇伏流水の湧水とされる池を中心に桃山様式の池泉回遊式庭園となっており、
ユリカモメや鴨、サギなどの鳥たちの楽園ともなっています。余談ですがかつて全盛を誇った熊本生まれの演歌歌手・水前寺清子がここ
水前寺公園からとって名前をつけたことでも有名です。
また園内には梅林もあり、2月上旬〜中旬頃に見頃を迎えます。
なお水前寺公園の入場料は400円、駐車場は無いですが、付近の民間駐車場(有料・1時間250円〜300円程度が相場)を利用します。
水前寺公園(水前寺成趣園)の壁紙写真
熊本県熊本市にある水前寺公園(水前寺成趣園)の壁紙写真です。梅の咲く頃の写真です。