今回は、九州の桜を撮影に行ってきました。島原城はその中で立ち寄った場所の一つです。島原城は江戸時代初期の1618年に松倉重政という大名が、この場所に島原城を築城し始めて、1624年に完成しています。しかし、歴史的には、その後しばらく後の1637年〜1638年にかけて有名な島原の乱が起こります。そのために島原城の城主であった松倉氏は改易されてしまいます。天守閣は五層の非常に立派なものになっていますが、これは当時の島原城を再現しているものです。島原城自体は、明治維新の時の廃城令によって、解体されてしまいましたが、その後島原の人々によって復活の機運が高まって、1960年(昭和35年)から島原城の原型が復元されてきているようです。建物自体は、昭和になってから復元されているもので比較的新しい趣を持っていますが、城を取りまいている石垣とか、お堀は当時そのままの姿を今現在に伝えています。天守台だけが残されているお城自体は、今現在見てみると、それほど大規模というほどでもないかもしれませんが、それでも天守台の部分はお堀に周囲を取り囲まれていて、非常に独立性の高い立派な雰囲気を保っています。また全盛期にはおそらくかなりの大きさを持っていた城であろうと言うことが想像する事ができます。天守閣自体は、1964年(昭和39年)に復元されているものです。また、島原らしく、天守閣の一階にはキリシタンの資料としていろいろな物が展示されています。結局島原の乱が起ってしまった原因が、その前の領主だった有馬晴信が積極的に勧めていたキリスト教保護の政策が、新しく島原城城主となった松倉氏が180度転換してキリシタン弾圧にしてしまった事も大きな原因になって起きてきたと言うのは、何ともかわいそうと言うか、当時の時代背景を想像させてくれます。島原の乱自体は、キリシタン弾圧だけが理由ではなくて、それとともに松倉氏の厳しい年貢の取り立てや圧政によって起きていたと言うのが主な原因のようです。そういった歴史を持っている島原城ですが、桜は城内にはあまり見ることはできません。どちらかと言うと、島原城のお堀の周辺に数多く植えられています。ソメイヨシノでだいたいその数は250本ぐらいになるそうです。