19代当主島津光久の手によって1658年の庭園造成当時に仮小屋を建てたのが
この喜鶴亭の始まりとされています。
以後この御殿は島津家の別邸として使用されてきました。
また明治時代に入って1871年(明治4年)の廃藩置県によって島津家の居城であった鶴丸城が取り壊されたため、
仙巌園御殿がそれ以後の島津家の生活の舞台となります。
また1884年(明治17年)には手狭になった喜鶴亭を改築して一時本邸として使用されていた時期もあります。
現存する建物は最盛期の約2分の1の大きさで、部屋数にして約25部屋程度の建物に縮小された形で
保存されています。