やがてほぼ上りきったところにある持仏堂と呼ばれる建物。
入母屋造りのお堂となっており、国の登録有形文化財となっています。
大河内山荘を造った大河内傳次郎はまた、非常に信心深い仏教徒でもあったそうです。
大河内傳次郎は1931年(昭和6年)小倉山の麓のこの場所に持仏堂を建立しています。
この場所にある持仏堂こそが、大河内山荘の始まりともいえる場所であり、
映画撮影の合間にこの場所で念仏を唱え瞑想にふけることで映像の創作の世界から、
庭園造りに芸術性を見出したことが大河内山荘の原点となっています。
やがて最初の滴水庵の庭園造営に始まり、現在のメインとなっている大乗閣の庭園へと、生涯を賭けた庭造りが始まるわけです。
持仏堂は常に身近に仏様を持ち、あるいは祖先の仏の位牌を安置するお堂というのが本来の意味だそうです。
大河内傳次郎にとっての持仏堂の意味は1923年(大正12年)に起きた関東大震災で犠牲となった多くの人々の霊を
慰めるという目的もあったようです。晩年もここで念仏を唱えながら静かな時を過ごしたのだそうです。