小野小町がはねずの梅の咲く頃、晩年をこの辺りで子供達と遊んで過ごした という伝承が、今も「はねず踊り」として継承されています。 隨心院小野庭園が出来たのは小野小町が生きていた時代よりずっと後のことで、 実際にこの梅園を見ていたわけではないと思いますが、 ここに隨心院が出来るずっと前の時代には、この辺りで咲いていた はねずの梅を眺めながら、小町が子供達と遊んでいたのかも知れません。
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