鬼押し出しは1783年の浅間山の噴火によって流れ出した溶岩が山麓の村々を襲い、
1151名が犠牲になったとされる、溶岩と火砕流の後です。
鬼押し出しの名前は、その当時の溶岩流を見た人々が、
火口で鬼が暴れているように見えたというところから名づけられているそうです。
鬼押し出しは浅間山最大の噴火といわれる天明の大噴火の溶岩流が
冷えて固まったものです。
天明3年(1783年)4月8日に始まった浅間山大噴火では3ヶ月間に渡り活動が続き、
7月8日の溶岩流(鬼押し溶岩流)を最後に活動を停止します。
この鬼押し溶岩流が周辺の村々を焼き尽くしたということになっているようですが
実際のところはその直前にあった吾妻火砕流や鎌原火砕流(土石流)による被害で
ほとんどの村が壊滅的な打撃を受けており
鬼押し溶岩流はその上から覆いかぶさるようにゆっくり流れ下って、そのときの溶岩流が冷えて固まり、
現在の鬼押し出し園を形作っているようです。
鬼押出し園は1951年の開園です。1920年ごろから実業家堤康次郎(現西武グループの創始者)が前橋営林署から土地を買い取って
鬼押出し園の整備に着手し、1951年に開園にこぎつけました。
園内はかなりの広さと規模があり、遊歩道の長さも約2.7kmほどもあり、じっくりと回るとかなり時間を取られます。
お天気が良ければ浅間山をバックに鬼押出し園が見られるのですが、
私が行った時は残念ながら雲がかかり、浅間山はほとんどその雄姿を見せることはありませんでした。
地元の佐久市の方の話では、浅間山は恥ずかしがりやの火山で、ほとんど雲間に姿を隠してしまうことが多いそうです。
観光地化されているとはいえ、ただただ溶岩の奇岩がゴロゴロ転がっている鬼押し出しは
やはり一種独特の雰囲気を持っています。
また園内には溶岩の作った穴にある光苔などの珍しい植物もあります。
鬼押出し園は浅間白根火山ルートの途中に忽然とその姿を現します。
浅間白根火山ルート沿いには無料駐車場も完備されています。
鬼押し出し(群馬県)
浅間山の大噴火によって出来た鬼押し出し
鬼押出し園 溶岩の壁紙
浅間白根火山ルート・鬼押ハイウエイ
鬼押出し 名前の由来
爆発型の噴火が特徴の浅間山
撮影日2003年9月9日