湖東三山・百済寺の紅葉の壁紙写真です。百済寺(ひゃくさいじ)は滋賀県の湖東三山のひとつで、
山号を釈迦山といい、湖東三山の中でも最も古い歴史を持っているお寺です。
その創建の歴史は非常に古く、今から1400年以上も前の飛鳥時代・推古天皇の時代590年にさかのぼります。
百済寺の名前の通り、このお寺は当時の朝鮮半島にあった百済(ハクサイ・くだら)から来た渡来人のために
聖徳太子が開基となって建立した寺と伝えられているようです。
当時朝鮮半島で軍事面で弱さを抱えていた百済は亡国に際しての避難先として日本を調査するために派遣していた
僧・恵慈(えじ)が聖徳太子と知り合ったところから、この場所に百済人のための氏寺を建立することになったようです。
聖徳太子は百済寺創建当時、百済にある龍雲寺を模して本堂を建立したとも言われています。また創建当時の
本尊である十一面観音菩薩像は太子自身の手彫りとされ、百済寺山中の同じ杉の木から龍雲寺にある本尊と
百済寺本尊は彫られたものなのだそうです。
その後平安時代1144年には比叡山延暦寺の影響を受けて天台宗寺院となり、百済寺の最盛期ともなった平安時代末期から鎌倉時代
にかけては300余りの坊と1200人余りの僧を抱える大寺院となり、一時は湖東の小叡山といわれるほどに隆盛を極めていたそうですが、
室町時代の1498年8月9日に失火により全焼し、また1503年にも兵火を受けて焼け落ち、その後戦国時代には
織田信長と対立する佐々木六角が百済寺に石垣を作って百済寺城を築いたため1573年4月11日にも
織田信長の攻撃にあって全焼して、当時の建立物はほぼなくなって衰退してしまいました。
現在の百済寺は信長没後の1584年に信長の側近であった堀秀政によって仮本堂が建てられ、少しずつ復興が始まりますが、
本格的には江戸時代に入って寛永年間(1624〜1643)に百済寺に入った天海大僧正の高弟・亮算(りょうさん)が、当時の明正天皇の命を受けて
復興を許され、多くの寄付を募った後、江戸時代初期の慶安3年(1650年)に現在の本堂・仁王門・山門が竣工される運びとなったようです。
今回は湖東三山の紅葉を撮影するために永源寺に続いて百済寺を訪問しました。
百済寺は湖東三山の中でも最も標高の高いところ(本堂付近で350m)に位置しているということで、通常で考えれば
紅葉の見頃は少し早い気もしますが、他の湖東三山の紅葉と見頃時期はさほど変わりません。
というのも、百済寺の紅葉は下の庭園のある1940年(昭和15年)に移築された本坊・喜見院の池泉式回遊庭園がメインとなっている感じで、そこから上の仁王門・山門・本堂付近にかけては、
全くといっていいほど紅葉を見ることがありませんでした。
私が行った年では喜見院庭園部分の紅葉の見頃最盛期は11月20日から25日ごろ、
まだ本堂へ至る参道付近は青々としていて、参道の紅葉の見頃時期はさらにかなり遅いのかなという感じ、
意外なほど緑一色で、本堂付近には一部黄葉している木もありましたが期待はずれの感じがしました。
とりあえずかなり紅葉時期に差があるなというのが百済寺の印象です。
紅葉庭園の百済寺
百済寺の美しい紅葉の庭園風景です。