ひらかた大菊人形 第六場面・夢の都「福原」
福原京は現在の神戸市兵庫区付近にあたります。
このあたりはその時代の平家が作ったとされる遺跡が多数残っています。
また神戸では福原の地名が新開地に残っています。
こちらの福原は桜筋と柳筋とからなる歓楽街ですが、直接現在の福原とこの当時の福原京とはつながりは無いそうで、
歓楽街が明治時代に初代兵庫県知事の伊藤博文によって作られた時に福原京にちなんで福原と名づけたようです。
もともとは外国人居留地に住む外国人のための慰安の場所として発展してきたようです。
ま、もともとそんなことは夢にも思っておらず、日宋貿易を重要視していた清盛は
ここに1180年、京より都を移し、当時の大輪田泊(現在の神戸港)を一大貿易拠点として発展させる計画でいたようです。
ただ残念ながらこの夢は源氏の蜂起によってわずか6ヶ月であっけなく終わります。
神戸に都が遷都されたのは後にも先にもこの6ヶ月間だけでした。
しかし現在の神戸の様子を見れば、清盛もビックリすることでしょう。