西明寺(湖東三山)の紅葉の壁紙写真です。西明寺(湖東三山)は滋賀県犬上郡甲良町池寺にある天台宗の古刹で、
山号を龍應山(りゅうおうざん)といい、平安時代初期の834年に三修上人が開基となり、当時の仁明(にんみょう)天皇の勅願を受けて
この場所に寺院を建立したのが始まりとされています。
三修上人が西明寺の建立に際して、現在西明寺のある場所の池から紫色の光が出ており、そこに薬師如来像が現れて
それを元に刻んで作ったのが本尊の薬師如来像だそうです。
またこのとき紫色の光が西の方角へ向かっていたことから西明寺の名前が付けられたのだそうです。
鎌倉時代の最盛期には17の堂塔と300の僧坊がある大寺院として隆盛を極め、源頼朝が戦勝祈願をしたとも言われていますが、
その後、他の湖東三山と同じように、戦国時代の1571年に織田信長配下の武将・丹羽長秀による攻撃を受け、
本堂、三重塔、二天門を除いて全て焼失してしまいました。
復興は江戸時代に入ってから、天海大僧正と当時京都山科毘沙門堂門跡の住職であった久遠寿院公海大僧正の参詣により、
復興を命じられた望月越中守友閑(もちづきゆうかん・えっちゅうのかみ)の手によって現在のような形に復元されたそうです。
西明寺には国宝第一号に指定されている1274年建立といわれる本堂があります。また隣にある1332年建立といわれる三重塔も国宝に指定されています。
これらは焼失を免れて、望月友閑らによる江戸時代寛文年間(1661年〜1673年)と1681年からの大修理を経て、
鎌倉時代の面影を良く伝えているとして、西明寺本堂が1897年(明治30年)12月28日、明治時代の1897年に出来た「古社寺保存法」による国宝指定第一号に、三重塔は1900年(明治33年)4月7日に国宝に指定されたそうです。
また西明寺境内には寛文年間の復興を記念して1673年に望月友閑自らが小堀遠州風の池泉回遊式庭園の作庭を行い、
蓬莱庭と名付けた庭園があり、国の指定文化財となっています。
西明寺は湖東三山の中では最も標高が低いこともあり、紅葉は比較的遅めの感じです。一部見頃を迎えていますが、
行ってきた年では見頃ピークは11月25日頃ではないかと思います。
今回見た湖東三山の中でも最も遅い感じで、本堂周辺の紅葉は一部が見頃程度でやや早い感じでした。
また入り口付近には不断桜と呼ばれる県指定天然記念物の樹齢約250年の冬桜があり、その名のとおり、9月から翌年の5月ごろにかけて咲き、
11月に満開になるそうなのですが、
今回行ったときには見頃は過ぎている感じで、数輪ちらほら申し訳程度に咲いているだけでした。
湖東三山西明寺の紅葉風景
参道には色とりどりの紅葉がとても綺麗でした。西明寺の紅葉の壁紙写真です。