1995年の1月17日に起こった阪神淡路大震災からの復興の願いを込めて始まったこのルミナリエですが、当時は、震災によって激減している観光客をルミナリエを通して呼び戻すという目的もあったそうです。それでも毎年この時期になると、400万人近い観光客が或いは地元の人々も含めて、この光を求めて神戸の街に集まってきます。最近では本来の鎮魂の意味が薄れてきて観光イベント化していると言うようなこともありますが、それでもやはりルミナリエ自体が、神戸の街にもたらしている経済効果ということを考えると、相当のものがあるように思います。今年は東北と関東において東日本大震災という非常に大きな災害が起きてしまいました。当時神戸がそうだったように、非常に多くの人が亡くなられたり多大な被害に遭われてまだまだそこから立ち直れないという人もいっぱいいらっしゃると思います。しかし、震災当時には、この光を見ながら、涙を流したことも間違いではないですし、経済効果とか経済事情とか言った側面を除いて、純粋に本来の趣旨から言えば、人々の心を癒して観光客を呼び戻すという意味も込めて、神戸から東北開催に移してもよいのではないかと言うように個人的には思いますが、実現するにはやはり大人の事情がいろいろとあって難しいのかもしれません。ただ外部の直接被害とは関係のない人からした場合には、すぐに復興とか観光振興とかいう言葉を口にしたがるわけですが、現実的に被害に遭っている人から見れば、余計なお世話であってほっといてくれということになるかもしれません。また復旧や復興というような言葉が他人事で、非常に冷たい言葉に聞こえるときがあります。直ぐに復興需要というような言葉を聞くたびに、経済的側面しかとらえないことに対して、非常に腹が立っていた時もありました。やはり個人の生活が成り立って初めて復旧や復興ということが、実感することが出来るからです。まだまだ、その段階に至っていない側からしてみれば、外部から復旧や復興と言ったことを聞くたびに、自分たちが取り残されてしまっているような気分になってしまいます。復旧や復興というのは、それなりの資産なり稼ぐ手段を持っているから言えることで、全てをなくしてしまった個人にとってそんなことを口にすることも考える余裕すらないわけですから。阪神淡路のときには、比較的早くインフラ復旧しました。しかし今回の被害はあまりに大きくて、原発問題も絡んでいますし、ましてやまだインフラすら整っていない状況にあって、簡単に復興というような状況では全くないわけで、個人生活も元通りになるまでには、大変な時間が必要になってきます。またそれも間違いないと思います。まだまだ長い戦いが始まったばかりだと言うことです。