弟は日が経つにつれ、少しずつ口を開き初めました。
当時はショックで全く口を開く気すら起きなかったようです。
しかし、被災当日は真っ赤に燃え上がる炎が街を多い尽くし、それが下宿している須磨の少し手前まで迫ってきたのを
じっと見ていたそうです。ここももうダメかなぁと何度も思ったそうです。
その後も何度か長田にある会社まで歩いて往復していたそうですが、
道などほとんど埋まり、崩れた屋根瓦や瓦礫、焦げ臭い何とも言えないにおい、鼻をつく死臭、
それらの間を乗り越えながら須磨から長田まで歩いて外套すらない真っ暗な中を通っていたそうです。