満開の粉河寺の桜の壁紙写真です。和歌山県紀の川市にある風猛山(かざらぎさん)・粉河寺は、近くにある紀三井寺と並んで、 近畿でもかなり早く桜が満開になる名所として知られています。 またここは西国三十三所巡礼の第三番目の札所として、参拝者でにぎわうお寺でもあります。 粉河寺は粉河観音宗の総本山のお寺ですが、国宝の「粉河寺縁起絵巻」の伝承としては 奈良時代末期の770年に開祖とされる大伴孔子古(おおとものくじこ)という猟師がこの場所に不思議な光を見、 そこに小さい庵を建てたのが始まりとされています。 あるとき、童男大士という人物が現れ、一夜泊めてもらったお礼にと庵にて千手観音の仏像を刻んだものが本尊の千手千眼観世音となり、 童男大士は観世音菩薩の化身であるという伝承も残っているようです。 ここまでは伝承ですが、史実からは平安時代の清少納言の枕草子にも登場していることから、 粉河寺は平安時代より以前にはすでにこの場所に建てられていて、 平安時代中期頃より花山法皇によって徐々に広まっていった西国三十三所巡礼でも巡礼の対象となっていることから、 平安時代にはかなり繁栄していたお寺であったことは間違いないようです。 ただ、その後は天下統一を目指す豊臣秀吉が、抵抗勢力であった紀州の根来衆と雑賀衆討伐のために差し向けた軍勢によって、 かなりの僧兵を擁して隆盛を極めていた粉河寺も1585年に焼き討ちに遭い全山焼失してしまったことと、1717年の火災でも再び焼失したため、 現存する境内の建物はほとんどが江戸時代に入って紀州徳川家の援助を受けての再建なのだそうです。 粉河寺境内は約3万5千坪という広大な面積を持ち、中でも国指定の名勝ともなっている粉河寺庭園は 巧みに崖を利用して本堂の擁壁という性格を兼ね備え、石組みと植栽をあわせた 国内でも非常に珍しい枯山水鑑賞式蓬莱庭園と呼ばれる先例のない庭園様式を持っています。 丹羽長秀配下で後に広島藩主浅野家の家老となった桃山時代の武将でもあり、茶人として茶道宗固流の創始者でもある上田宗固の作庭とされ、 戦国時代の武将が作った庭らしい庭だとも言えるかと思います。 これだけの規模を持つ粉河寺ですが、その名前の由来は敷地手前を流れる小川(粉河)から粉河寺と名付けられたようで、 ちょっと意外な気もします。 粉河寺の桜は境内に約300本ほど植えられており、見頃は3月末〜4月初旬頃です。 なお、境内の拝観料は無料ですが、本堂・内陣は拝観料300円かかります。 また駐車場は約100台程度止められるようですが、駐車料金として別途500円掛かります。
